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見た!読んだ!

 投稿者:伊豆海 光  投稿日:2008年 5月27日(火)13時12分34秒
  バイオセラピー、見ました読みました。まだまだ頑張っているのですね。
バイオセラピーの考え方と効果は、昔から多くの人が素朴に直感してきたことだと思います。
しかしそれを理論化し、さらに実践につなげていることに敬意を表します。
とくに、学校教育の現実を直視したとき、
それを実践につなげていくことが、一番難しいことだと思います。
レポートを読んで、具体的にどのような形になるのかは私には分かりませんが、貴君のライフワークが見えた気がしました。
職を退いても地域や一般社会にそれらを広め定着していく活動は継続できる気がします。
その後につなげるものを創りつつある貴君をうらやましく思います。
 
 

新教科「バイオセラピー」について2

 投稿者:管理人  投稿日:2008年 5月21日(水)15時30分13秒
   知人・友人 各位
昨日バイオセラピーのHPについて掲示板に書き込んだのですが、URLのリンクが上手く張れません。ポータルサイトから「静岡県立土肥高等学校」で検索していただき、そのトップページの左側にある「バイオセラピー」からご覧ください。お手数をおかけしますがよろしくお願いいたします。
 

バイオセラピーのHPについて

 投稿者:管理人  投稿日:2008年 5月20日(火)10時09分43秒
編集済
   知人・友人 各位
ご無沙汰しております。緑の地球ネットワーク2007夏のワーキングツアーの紀行文は現在作成中ですが、遅々としてなかなか進みません。晴れた休日はほとんど畑で過ごしておりますので、梅雨頃になりそうです。
 黄土高原でもそうですし、自分の畑でもそうなんですが、私が植物を栽培しているのではなく、植物が私を癒してくれているという感覚が徐々に強くなって来ました。采涼山プロジェクトで2000年に植えた松が毎年生長して、私の手が届かなくなった時の喜びは、アブラマツからのご褒美であるといった感覚でした。
 そういった感情を教育に生かせないかと考え、新教科「バイオセラピー」という教科を立ち上げ、昨年実施しました。その1年間の実践をホームページとして先週アップロードしました。
 是非一度見ていただいてご意見をいただけたらと、考えております。
URLはhttp://www.shizuoka-c.ed.jp/toi-h/
からバイオセラピーのページをクリックして入ってください。

よろしくおねがいいたします。
 

クラゲ万華鏡

 投稿者:伊豆海 光  投稿日:2008年 1月 3日(木)11時30分50秒
編集済
  明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。

後、何年でしたっけ。年末に我が家で退職三人組バーベキューをしました。結構楽しかったですよ。
ところで、伊豆三津シーパラダイスにクラゲ万華鏡ができたので、昨年末は三回も観に行きました。フワフワ幻想的でとっても癒されましたので、今年の年賀状の写真にしました。

今年は、昨年に続いて小説の二作目を出版予定です。また、八月末には絵画展も開催予定です。こんな調子ですので、おそらく最後の日までじたばたするのでしょうね。

それでは、今年もよろしくお願いいたします。奥様にもよろしくお伝えください。
 

2007黄土高原ワーキングツアー3日目

 投稿者:管理人  投稿日:2007年11月 8日(木)14時16分4秒
  【8月3日】(星期五)
 県城の招待所を出て、一路霊丘自然植物園に向かう。ここを訪れるのは99年以来8年ぶりでその変化が楽しみである。ここは緑化に使用する樹種の多様化のために、また、自然植生の観察や植樹造林技術向上のためにも、植物園の建設が必要であると考え、何か所かの候補地の中から選ばれた霊丘県上寨鎮南庄村で86 haの土地の100年間の使用権をカウンターパートの名義で購入した。標高が900mから1,300mと高低差もあり、地形も複雑である。付近に自生している広葉樹から各種のマツまで、さまざまな樹種を植えられいる。地元や北京、中国内外から寒冷・乾燥地に適した樹種をあつめ、試験栽培も行っている。大同市の南部に位置する霊丘県は、黄土丘陵というよりは太行山脈に属し、植林の観点からすれば土壌や気候の条件は比較的恵まれているといえる。落葉広葉樹を中心とした自然林が発見され、種子を採取し苗として環境林センターやカササギの森などに植えているが生育は霊丘に及ばない。GENが大同で緑化協力活動をはじめたころ、大同の極相林はマツやトウヒなどの針葉樹だといわれていたが、人手も放牧も入らない、村から遠く離れた山中には、ナラ、シナノキ、カバノキ、トネリコ、カエデ、クルミ、ハギ、ハシバミなどの豊かな植生があった。黄土高原を、山に一木もないいまの姿にしてしまったのはやはり人間だったのだと再確認すると同時に、土地利用を考えて工夫すれば緑化は不可能ではないと将来への展望をいだかせてくれる。 放牧の進入を防ぐため、周囲をトゲのあるナツメなどで囲った。すると、それまでは毒のあるキンポウゲの仲間ぐらいしか草は生えていなかったのに、たちまちウマゴヤシ、ハギなどマメ科をはじめとする草や灌木が茂ってきて、放牧の圧力を改めて実感させられた。ホソバユリの群落もできて、花の時期には目を楽しませてくれる。さらに、それまでは芽生えや若葉を食べられて育たなかったリョウトウナラ、シラカンバなどがぐんぐん育ってきて、風景がどんどん変わりつつある。
  99年の夏にここを訪れた。車は途中の南庄村まで登ってきた。南庄村は大変貧しい村で、小学校の教室の屋根には穴が開いており、雨が降ると休校だという。そこで日本の労働組合が2教室ある小学校をプレゼントした。子どもたちは新しい学校で勉強できると喜んでいたが、現在ではそこも廃校になったという。
 舗装道路から自然植物園へ左折するとバスはすぐに止まった。川に水があり、土砂崩れのため2時間ほどかけて徒歩で登っていく。川に大きな石を並べて渡る所を作り全員で何とか渡りきった。昼食セットを若者が持ち、一路自然植物園へ。標高900mの所に管理棟が造られており、ここに荷物をおいて稜線まで植生を見に行く登山班と付近の植生を観察する班に分かれた。私は遠田顧問の後をついて回る観測班になった。99年に訪れた時は、小さな水たまりしか無かったが今では大きな池となっている。木が生長するに従って地下水がどのように変化するか、水源涵養力を調査する水量計がセットされているが、壊れていた。遠田先生がまずその修理に取りかかった。
 その後、遠田先生の案内で水源を観察したり、放置された畑がどのように植生が回復しているか観察をした。2時間ほどすると登山隊が帰ってきたので、カップ麺と果物による軽い昼食を食べて植樹にとりかかった。植えた木はアブラマツ、シラカンバ、リョウトウナラ、ノブドウであり、谷を境に右側斜面(日当たりが良い)にアブラマツとノブドウ、左側斜面にシラカンバとリョウトウナラを植えた。右側斜面は斜面というより崖といった感じで、急斜面である。ガレ場といった感じであるが、8年前にここに植えたマツが元気に生き残っていたことはうれしい限りである。植林中近くのメンバーが「サソリがいた!」と大声で叫ぶので、あわてて見に行ったら、石の下に野生のサソリがいたのでカメラに収めた。サソリは何回か食べた事はあるが、生きている自然状態のサソリは初めて見た。霊丘県は大同市でも最南部であり、降水量の差であろうか、木々の生育は早い。カササギの森に植えてある落葉広葉樹のリョウトウナラ、トネリコ、ハシバミなどは枯れてはいないがほとんど生育していないのに比較してここでは旺盛な生育を示している。遠田先生によると温度と降水量の差であろうという。また、99年に使用権を買い取り、しばらくは耕作を黙認していた畑も5年ほど前に耕作をやめたところ一面の草原に戻っていた。この地域の潜在的な植生回復能力は充分あり、人間の圧力さえなくなれば充分回復することを表している。
 植林の後、自然植物園内の育苗圃場を見学する。GENでは緑化に使用する苗を全て自前で育苗している。環境林センター・白登苗圃・自然植物園の3ヶ所である。その目的は危険分散であり、もう一つの目的は適地適作である。
 1時間ほどかけて自然植物園からバスまで降りた。バスが河を渡って手前まで来ている。河(唐河)をダムでせき止めさせて、水量を減らしたという。GENと地元の人民政府との深いつながりを感じた。
 バスに乗ってホームステイ先の上北泉村に向かう。国道に出ると石炭トラックが渋滞し全く動かない。6軸、タイヤが20個の巨大トラックである。1台200t積んでいるという。突然公安(警察官)が12名現れ、道路を封鎖してトラックの誘導を始める。我々のバスを通すためである。バスはわき道に誘導されまた、交通をストップして上北泉村まで入っていった。
 村の入り口では鼓笛隊や「熱烈歓迎」を叫ぶ子ども達が40名ほど待ち受けている。村にはいると今度は村の婦人達が踊りで歓迎してくれる。その両者が合流して盛大な歓迎式典となる。村長から村の概要の説明を受ける。村の人口は598人、189世帯であるという。GENは1996年から小学校付属果樹園の協力活動を始め、村も熱心に取り組みリンゴ、ナシ、クルミ、アンズなどの果樹の栽培に力を入れ2000年から本格的に収穫が始まり、現在では収入の60%が果樹による収入であるという。特に子どもの学力が向上したことを喜んでいた。
 その後小学校に移動し、ホームステイする班に分かれ、ホームステイ先に移動した。私たちの班は呂さんという家に泊めてもらった。メンバーは50代から60代前半の6名で、そのうち4名が中国語を話せる人でおおいに助かった。食事まで道路に出て子ども達に折り紙を教えてあげたり、「幸せなら手をたたこう」の中国語に指導をしてもらった。とめていただいたのは豊かな家で、母屋とは別棟に離れがあり我々はベッドに2名、オンドルに4名とめてもらった。驚いたことにバイオマスガスによるガスレンジが設置してあったり、後から聞いた話では光ケーブルが全戸に設置してあるという。バイオマスは半年程度しか使用できないが、この村の豊かさを象徴している。
 夕食後10時頃まで、集まったメンバーで環境・緑化・人間の生活などを話し合った。期待していた星の観察は雲のため全然見えず、残念であった。
 

07黄土高原2日目(8月2日)

 投稿者:藤原国雄メール  投稿日:2007年 9月 5日(水)21時51分52秒
   8:30ホテル出発。桑干河を経由して、三嶺村に向かう。空き地にバスをとめて黄土高原の代表的な風景を写真に納める。夏は緑で覆われているが、 その後、渾源県に入りアンズで成功した村の呉城郷に入る。この村は事務局長の高見邦雄さんが書いた「僕らの村にアンズが実った」の表紙の写真に写っている村である。村の入り口のアンズの畑がよく見える場所で郷長の説明を受ける。
 呉城郷は人口2000人、580軒の村であるが1994年からGENの援助で小学校付属果樹園を始め、その後も面積を広げアンズの栽培に取りかかった。今では300 haのアンズ畑があり、穀物を栽培したときの5~10倍の収益が上がり、植え付けて8年以上たてば確実に10倍以上の収益が上がる。アンズの仁は加工用に、果肉は加工して食用や化粧品の材料や酢の原料、果皮は燃料、葉は羊の飼料、剪定した枝は燃料になる。現在では加工工場を2つ作ってある。昔は高校進学など考えてもいなかったが、現在打破大学生も30人以上おり、大学院生まで出ている。「振り返ってみて、貧乏というのは怖くない。一番恐ろしいのは、貧乏だからどうしようもない、貧乏だから勉強しても仕方がない尾いう考えに、【 小学生のころからなってしまっていることだ。」その村のリーダーたちが語っていたという。その後、アンズの記念植樹をした。植えた場所はトウモロコシ畑の中、今年の旱魃(かんばつ)は厳しく、栄養生長が不十分なため、生殖生長に切り替わっておらず、雌花も雄花も分化していない。今年の収穫はこの畑に限っては全く望めない。
 記念植樹後3軒の農家に分かれ、オンドルの上にテーブルに2段、3段と重ねられた豪華な昼食をご馳走になった。昼食後小学校に集合。この村で作られたアンズ製品を並べてあり、私は迷わず生の仁を購入した。2年前訪れたときは、うすいビニール袋に入っていたが今年は立派な製品となっている。この村の豊かさと、前向きな姿勢を感じた。
 村人の見送りを受けながらバスは一路懸空寺に向かう。懸空寺のある岩壁は断層崖であり約20億年前から堆積した先カンブリア紀の地層で、一番上の地層から古生代の示準化石の三葉虫が出るという。懸空寺は仏教、道教、儒教の3つの神さま(釈迦・孟子・孔子)を奉っている。建物の2/3は岩壁内にあるが、外見上は空に懸けてあるような構造である。建立は1500年前という。
 懸空寺見学後、バスで大同市最南端の霊丘県に向かう。県境の峠に向かって登っていくが、巨大な石炭トラックが道をふさぐ。6軸20本のタイヤの巨大トラックで200㌧を積んでいるという。この積載量に対してエンジンの馬力不足のため時速10キロ程度でしか登っていかない。やっと峠を越えて霊丘県に入る。今日の宿泊は県城の平型関賓館(いわゆる招待所)である。招待所の特徴はかぎ各階の服務員が持っており、部屋を開けるときは服務員に開けてもらう。当然バスタブはなく、シャワーがあるだけ、ありがたい。当然トイレに紙は流せない。

http://www2.wbs.ne.jp/~kunio

 

07黄土高原1日目(8月1日)

 投稿者:藤原国雄メール  投稿日:2007年 9月 1日(土)23時11分41秒
  【8月1日】(星期三)
 5時半、公立学校大阪宿泊所「アウィーナ大阪」で起床。同宿は昨年も一緒に行った静岡県立農林短大林業家の若者と元NHK解説者の78歳のツアー初参加者。フロントはまだ開いていない。会計は昨日済ませてあるので裏口から外に出て、途中のコンビニで朝食を買い、上本町から関西空港行きのリムジンバスに乗り込む。
 関空着7時40分。何回か一緒にワーキングツアーに参加したメンバー(リピーター)もおり、握手で再会を喜ぶ。GENの事務局と切符を手配した旅行者の事務局員の出迎えを受ける。東北電力総連が寄附してくれたポロシャツを段ボール箱2箱の「運びや」として関空発のメンバーが送料をただにするため、大きなバックに詰め込む。手荷物検査はさらに厳しくなっていた。機体持込みの検査は液体は100 ccまで。それ以上は別のプラ容器に移し替える。ペットボトルも同様。10:00出発。10:15離陸。日本上空は雲があるものの木々に覆われた山が見せる。瀬戸内海から松江上空を通り、日本海にぬける。飛行機はやがて韓国上空に入り、ソウルから黄海、渤海上空を通り、北京に至るコースである。韓国上空で大気は不安定となり、成層圏に上まで雲が広がっており、機体が揺れ始めシートベルト着用のサインが消えない。
 12:03北京空港着。気温は30℃。相変わらずスモッグが大地を覆う。今年は参加が多いため、いつものバスより大型である。空港で成田組、北京組が合流する。自動車は高速を通り大同に向かう。北京はどこに行っても建設ラッシュ。環状6号線に建設が進んでいる。93年には北京市街地にいく高速もなかったのに。
 高速の途中から北京の大水源官庁ダムを縦断する。北京はその水の多くを北西ある山西省・河北省に頼っている。両省とも乾燥地域で降水量は400~500㎜程度の乾燥地帯である。主な水源は官庁ダムと密雲ダムである。官庁ダムの水源は桑干河であり、大同県のすぐ横を流れている。大同県から見た桑干河は幅も1㎞以上あるが水が流れている所は10m程しかなく、今年も河床からメタンが発生していた。もはや上水道としての使用はできない。しかも官庁ダムの水量は2001年には4.2億㎣あったのが2006年には1.4㎞㎣に減少している。その水を北京市内では噴水や池、洗車などに使用している。山西省・河北省などではダムのすぐ横の畑が旱魃(かんばつ)で生育できないといった状況が続いている。このような状況で1年後のオリンピックの開催が可能なのだろうか?
 大同には7時頃に着き、雲崗国際酒店につき荷物を部屋に置いてすぐに夕食。夕食ご顧問に元東北大学理学部付属植物園長の遠田宏先生の部屋に伺い、「遠田ゼミ」を開く。

http://www2.wbs.ne.jp/~kunio

 

黄土高原から帰ってきました。

 投稿者:藤原国雄メール  投稿日:2007年 8月 9日(木)16時42分27秒
   昨日(8月8日)、夜九時過ぎに黄土高原から帰ってきました。今日は黄土高原で撮ったデジタルカメレをパソコンに取り入れ、修正しました。3GB以上ありますので結構時間がかかりました。その後初めて持って行ったビデオのデーターもパソコンに取り込みました。
 今年の黄土高原は干ばつで、雑草でさえ枯れ始めているところもありました。でも采涼山の松は相変わらず元気に育っていました。また紀行文をアップします。その時には是非ご覧下さい。
 残暑お見舞い申し上げます。日本の厚さと湿気にまだ身体が慣れません。

http://www2.wbs.ne.jp/~kunio

 

先日は失礼!!

 投稿者:IZU-1388  投稿日:2007年 8月 2日(木)09時40分30秒
  先日は会合に出席できなくて残念!!参加したかったのですが、二ヶ月間に亘る治療の最中でした。
昨日近くの温泉でそのときの参加者「S光」夫妻に会いました。

絵画活動は現在休止中です。来年はグループ展が出来そうです。
現在は全く別の創作に没頭しています。

ところであと何年ですか??

http://www4.tokai.or.jp/izu-1388/

 

見たぞ!!!

 投稿者:IZU-1388  投稿日:2007年 6月20日(水)10時01分2秒
  ワーキングツアーHOT! 見たぞ。延々と。疲れて途中であきらめました。ところで、TGT同僚の体育女史。ベトナム写真展見に行ったら、結構良い構図で上手に撮っていてびっくり。子供たちの表情が、生き生き捉えられ、芸術センスいいよ。Youも、せっかく行ってるのだから、やってみたら。それでは。  

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